2017年1月12日
小笠原 文
毎日使う手。
生活を送るための手だったり、仕事や技を磨く手・家族を守る手・自分の願いを叶える手。
など、手を介して行われることはたくさんあり、あたりまえのように使っているふたつの手があるからこそ “普通の生活” というとても尊い日々を過ごすことができています。
日本では鎌倉時代、武士が馬に乗って弓を引く「弓術」を行う時に、
右手に馬の手綱・左手に弓を持ったので、それぞれを「馬手 (めて)」「弓手 (ゆんで)」と呼んだそうです。
このように右と左では使い方や役割が変わることがありますね。
世界的に
◯右手を「清浄の手、聖なる手」(宇宙・根源)
◯左手を「不浄の手」(自我・分離)
とし、そのふたつを合わせる『合掌』のかたちはそれらをひとつに調和・統合するという意味が込められています。
日本では昔から感謝の気持ちが深くあり、食事の際にも手を合わせ挨拶をしています。
“自” と “他” を繋ぎ、食物に感謝をする。
とても素敵なこころですよね。
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手のひらにもチャクラは存在していて、癒す・与える・整える・吸いとるなど変化を促す役割をもっています。
ハンドセラピーやマッサージなどでは
・右手からは施し
・左手からは吸収
と、それぞれの特性を活かした方法で対処したり、じっと手のひらに意識を集中させてエネルギーの違いを感じたりするそうです。
わたしたちの日常でも、怪我や痛みを感じる箇所に手のひらを当てる「手当て」があります。
どんな意味があるのかは知らなくても、自然と小さい頃からしていることですよね。
そして不思議と痛みが消えているということもよく聞く話です。
現代「手当て」は医療やケアとしても重要視されているそうで、病んでいる人に手で触れることの効果は良い心理的効果を生み、病状を快方へと向かうことが近年の研究でも明らかにされています。
また、リハビリテーションでも手をつかったハンドマッサージで血行やリンパ液の滞りを和らげ巡りを促すことは、自然治癒力を高める効果があるそうです。
アンジャリムドラ
ヨガの中で手のひらを合わせるポーズはいくつかありますが、シンプルな合掌のかたちを『アンジャリムドラ』といいます。
・アンジャリ=合掌
・ムドラ=印
安楽座、またはタダアサナの姿勢で、両手の平を合わせます。
お互いの手のひらを押し返さないよう優しく触れる程度にし、力は抜いて、自然な丸みをもたせます。
肩を下げ、力を抜き、親指の付け根あたりが胸に触れるところへ添えることでハートチャクラとエネルギーの通り道ができると言われています。
・右手は本来の姿。
・左手は自我の姿。
そのふたつを合わせ『ひとつ』に統合された手のひらに、今ここに存在している自分自身のこころ(ハート)と繋げることでより一体化させていく意味も込められています。
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*祈るときにも、わたしたちはよく合掌をします。
軽く顎を引き、顔を少し下向き加減にすることで鼻から出ていく息が手のひらへと入り、『自分の意思を吹き込む行為』とされるようです。
手のひらの膨らみを大きくさせ、蓮の蕾をイメージさせるかたちもあり、花が開くように自分自身を開花させていく意味のかたちもあります。
手のひらの中央は通常くぼんでいるので、自然に合わせるときにはなかなかべったりとつくことはありません。
指の間を少し広げ、右手を指ひとつ分手前(自分の方)へずらし、右と左の指が互い違いになるようにすると、手のひらの中央もピッタリと収まることができます。
指がひとつひとつ交互に並び、右と左の自我と宇宙が混ざり合う『金剛合掌』というやり方はとても強いエネルギー・波動を発するそうです。
合掌は
何かに感謝をするとき。
心を静めたいとき。
瞑想するとき。
お祈りするとき。
自分の魂と、深く存在している全知のものとを繋ぎ合わせる行為。
手のひらを合わせたまま怒るということは難しいそうですよ。
大切な誰かと手を繋ぐとき、お互いの手からは電波のようなエネルギーを発していて、それが混ざり合い一体になっているということが研究結果で報告されています。
手だけ見ても混ざっているようには見えないけれど、エネルギーレベルではひとつになっているなんてとても素敵ですよね。
合掌は片方の手だけではできません。
どちらも存在しているからこそできること。
手のひらでお互いの温度や優しい何かを感じ、こころ清らかに素晴らしい日々を過ごされますように。