2016年10月2日
小笠原 文
ヨガのクラスでよく行われる“太陽礼拝”。
サンスクリット語でスーリャ(太陽)ナマスカーラ(礼拝)。
(sūryanamaskāraḥ)
英語ではサンサルテーションと呼ばれます。
(Sun Salutation)
”太陽が存在しているからこそ、この世界は創られ成り立っている” ことを、「認識し感謝しています」という想いを身体を使って表したもの。
※ナマスカーラ
「ナマハ」…敬意を含んだ認識の言葉。
「ナマステ」…インドの挨拶。
「ナマハ」を身体や心・言葉で表現する行為を「ナマスカーラ」といいます。
太陽に感謝をする理由や、ひとつひとつの動きを知らずに行っていたとしても、太陽礼拝の動きをすることで私たちの認識や感謝は深まり、新たな気づきを得るための大きな役割となってくれます。
しかし、太陽自体に感謝をすることはもちろん理由のひとつではあるのですが、実はそれ以前に、わたしたちを取り巻く“大いなるもの”への感謝を表す対象(象徴)のひとつとして、目に見える「太陽」を掲げているに過ぎないのです。
その“大いなるもの”とは
「全てを知るもの」
「全てを可能にしているエネルギーと知識」
(サルヴァ ニヤ=全てを知るもの・アヴァローキテシュヴァラ=観音菩薩、など)
という認識です。
わたしたちのからだは物質的ですが、全てはエネルギーで創られています。
いまあなたの周りにある人工で造られたものも大自然も、そして太陽や星・存在するものは全て
“エネルギーがそれぞれカタチをつくり、その姿を肉眼で見えるように表したもの” でしかありません。
“自分以外を認識するための姿” であり、もとの素材と言いますか、材料は同じものなのです。
できあがった姿や性質が違うだけ。
すべては何も変わりはなく同じひとつのもの=『ワンネス』と呼ばれます。
ヨガではこのワンネスを、手の親指と人差し指で小さな輪をつくる「チンムドラ」で表現しています。
外の世界にみるものは自分の中にも存在し、反対に自分の中にあるものは外の世界にも全て映し出されている。
内も外も同じです。
「わたし=全て」であり、創造し動かすことのできる存在。
↓
全てを創造するもの=「全てを知るもの」
冒頭でお話しした「大いなるもの」は「わたし」である。
ということです。
その認識のもと太陽礼拝という行為を解釈すると、
太陽がわたしたちに与えてくれる大きな営みは「太陽」がしていることではなく「わたし」がしていることと同じことを意味します。
太陽という目で見ることができるわかりやすい対象として礼拝することで、
『わたしの中の存在する全てのものへの感謝の祈り』という行為になるからです。
太陽礼拝は『動く瞑想』と言われます。
同じ動きを繰り返すことで体はその動きを覚え、呼吸も自然と合わせて繰り返されます。
呼吸が整うと次は、意識が少しずつ静かに。
思考は消え、無の状態に近づいていきます。
ものの判断をする意識体より深く鎮まっていく先が、「瞑想」という段階の意識体へと入っていきます。
これが『動く瞑想』と呼ばれる大まかな流れです。
ヨガのクラスで行われる太陽礼拝の目的は、クラスによって様々。
さらに、実際にその動きをしている本人によっても捉え方は異なるでしょう。
太陽礼拝が身体に与えるプラスの効果はいくつもありますし、インターネットなどで調べるとたくさんの情報が出てきますね。
そこで、ここではひと味違ったおもしろい視点での太陽礼拝をご紹介いたします。
*********
【『地球を創造する意識』の太陽礼拝】
〜太陽から始まり、地球が創られ、生命が存在し共存するストーリー〜
(自らをカタチのないエネルギー体とし、アサナや移りゆく動きの過程で新たなものを創造していくというイメージ)
※動きながら、絵本の世界に入り込んだように想像を膨らませてみてください。
□タダアサナ
静寂。地球の素となる星の塊、大地がただあるのみ。
□ウルドゥワハスタアサナ
大地と太陽、お互いのエネルギーが引き寄せ合い、融合。
□ウッターナアサナ
太陽のエネルギーが、大気をかき混ぜながら大地へと降り注ぎ
□アルダウッターナアサナ
大地と空の間を吹く風・空間が生まれる。
□クンバカアサナ
大地生成。土台安定。日の光により生物の素となるものが生まれる。
□アシュタンガアサナ
生物のエネルギー体は大地へと染み込み、地球と融合。
□ブジャンガアサナ
エネルギー体は植物へとカタチを変え大地から地上へと芽をだす。
□アドムカシュヴァーナアサナ
地球上の生物の営み・繁栄。
□アルダウッターナアサナ
地球上のもの(生物たち)から創られる空間。
□ウッターナアサナ
地球の上と下との調和。
□ウルドゥワハスタアサナ
大地から空へと贈るエネルギー。
□タダアサナ
すべてとの調和。
*自分がこのストーリーの主役として想像し動いてみると、まさに今自らが地球を創りだす創造主としての感覚も楽しめるのではないでしょうか。
体の機能よりもイメージを重視した太陽礼拝は、いつもとはまた違った体感があるかもしれません。
こころとからだを繋ぐヨガ。
わたしたちはいま、目で見てそこに広がる世界と、肉眼では見ることのできない世界にいます。
しかし、心の眼というすでに備わっているこの意識は全てを見ることが出来、知ることが出来る。
さらには、すでにわたしたちは全てを知っているからこそいまここに存在している、ということ。
(→アヴァローキテシュヴァラの意識)
どの視点で物事をみるかを選ぶ自由のある中で、常に見たいものを選択して見ている日々。
様々な視点。いろいろな自分の世界。見て・動いて、旅をするように楽しんでみてください。