2016年4月12日
小笠原 文
「癒されたい」って、実際どうなりたいことなのかな?
いろいろな視点があるけれど、今回は特に「〜したい」という状態についてみてみたいと思います。
もし “癒し” という言葉が無かったら、その気持ちをどう表しますか?
ゆっくりしたい・リラックスしたい・気持ち良くなりたい…等。。。
まずこの『癒されたい』というのを求めているとき、
必ず『癒されていない状態』が存在しています。
『そうでない』から、『そう』なりたい。
そして、『そう』なったときに初めて『満たされた』という状態を得ることができます。
癒しに限らず、すべてのことに言えます。
『〜なりたい』は、『〜ではない』状態にあるとき。
その欲求が満たされた瞬間の解放感や達成感を、わたしたち人間は知らずのうちに求めているのです。
脳学者さんがよくいう『アハ体験』と同じこと。
気づきの瞬間です。
話をもとに戻しますが、『癒し』とは。
心や体がどうなった状態のことを言うのでしょうか。
説明としては【心理的な安心感を得ること】とあります。
昔から使われている「癒し」という言葉の意味としては、
それが近年日本では「ストレス」という言葉がブームになると同時に「癒し」も広がっていきました。
そして「癒し」=「ヒーリング」
体の不調を整えるときに使われることが多い言葉ですね。
癒すための方法もいろいろとあります。
「自然療法」「アロマ」「音楽」「瞑想」そして「ヨガ」等。
なりたい状況・到達点は実は同じ。
どれもそのための手段としてのひとつに過ぎません。
また長くなりましたが、
では、どうなりたいのか。
『癒されたい』というときのなりたい願望。つまり、思考によってそうなりたいという欲求がでています。
そして『癒された』とき。
思考はどうですか?
多くの場合、『何も考えていない』状態ではないでしょうか。
ただただ満ちている状態。
気持ち良い〜とか、身体が緩んでる〜等、頭に浮かぶときはまだ思考があります。
さらにその先の深いところ。
気持ち良すぎて言葉が出ない。。なんて経験はありませんか?
もっと言えば、「言葉が出ない」ということさえ浮かばない「無」の状態。
*思考のないところ。
思考がなければ、心にも体にもチカラは入りません。
完全にチカラの抜けた状態です。
シャバアサナ=屍のポーズ
一番難しいとされるアサナです。
誰もが自分自身の奥深くに広がる宇宙をもっています。そこは様々なエネルギーの層がいくつも存在し
自我も思考も存在しないニュートラルな領域だったり、
そしてその奥の、何にも存在しない領域だったり。
その内側に安らいでいるときは、すべてが共存し調和しています。
【調和とは、バランスのとれた状態。ひとつひとつの存在を尊重し合い、全てはひとつのものの一部であり共に繁栄していくもの。】
その状態のときって何かをマイナスに思うこと、しようと思っても出来ないですよね。
世界の隅々まですべてが癒されている状態なら、きっと全く違った地球になるのかもしれませんね。
しかし、ここまで書いておきながら、、、
始めにお話したことを思い出してください。
『癒されている状態』になるには、
『癒されていない状態』があること。
ずっと『癒されて』いたら。
『癒し』というもの自体が、存在しません。
光と闇の関係のように片方があるから、初めてその反対が存在することができている。
何かをしたいから、していない状態がある。
癒されたいから、そうでない状況を創り出している。
そう考えると、癒される前の状態って
ものすごくありがたく、貴重だと思えてきませんか?
どんな状態も、「今」のその瞬間を楽しんでみてくださいね!