2016年3月6日
TAKA
肉食か非肉食か、議論があります。
菜食で健康になる人もいる。
肉食で心穏やかな人もいる。
結局人間は「適応する」ということと「情報を食べている」ということに尽きると思います。
体に良いと信じて食べれば健康になるということです。
とすれば逆が怖いです。
この食べ物は邪食、毒だと信じていれば、それが毒でなかったとしても体は反応し具合が悪くなるでしょう。
自分の心の中の「正しさ」「信念の強さ」が牙をむくわけです。
「菜食こそ正義」となれば肉を喰らう人を見た途端、反射的に嫌悪感・不信感がわきだしてくる。
悪意より質が悪いのは、老婆心という名のしたり顔の善意かもしれない。
他人の歴史に口出しする傲慢さが頭をもたげてくる。
人間の感受性、内臓機能、消化、吸収、代謝、排泄能力・・・どれをとってもみなそれぞれ違います。
仏教用語を借りれば「機根」も違う。
ある食材に対する受け入れ方が違うとなれば、10人いれば10通りの食事療法があってしかるべきです。
肉食も良し、菜食も良し。
どちらでも良し。
俯瞰した幅広い視野をもち、一方に片寄らない、居着かない。
バランス感覚、ニュートラル化を養っていくことが、万物の霊長たる人間の心身の健康の要ではないでしょうか。
伊豆にあるやすらぎの里・養生館の館長である小針佑太先生のお話です。