2016年1月10日
ゆきゑ
ヨーガの歴史を遡る紀元前5世紀、古代インド哲学の奥義書といわれる『ウパニシャド』にヨーガという言葉と共に登場するクンダリーニ。
究極的なヨーガの目的はこの生命力の源であり、人生を創造するためのエネルギーであるクンダリーニを活性化することである、とも云われています。
それにも関わらず、クンダリーニヨガは何千年もの間、インド国外へ伝わることはありませんでした。国外はおろかインド国内に於いても、何年もの修行と幾つもの伝授を経て、マスターより認められた弟子のみだけに伝えられる秘技のヨーガだったのです。
この伝統を破り、西洋へクンダリーニヨガを広めたのがヨギ・バジャン(Yogi Bhajan, 1929-2004)。若干16歳にしてクンダリーニのマスターとして認められた偉人です。
ヨギ・バジャンは現在パキスタンとなった、小さな村の代々村長を務める家の長男として生まれました。
父親はよく知られた医者であり、ヒーラーでもありました。母親は正義感が強く、村の若者達を自分の子供の様に公平に、そして愛情を持って接する女性でした。
この二人は長く子供に恵まれず、なんと25年もの祈祷の末に授けられたのがヨギ・バジャンだったのです。
幼い頃より好奇心旺盛で探求心に満ちたヨギ少年は、周りの大人を困惑させる質問を矢継ぎ早に問いかける子供でした。
最高の教育を受けさせようという両親の方針の下、この少年は地域で一番良い学校だったカトリックの女子修道院付属学校に入学することになります。もちろん、唯一の男子生徒でした。
男の子というだけでも面倒な上、子供と思えない奥の深い、答えにくい質問ばかり口にする少年に、修道女達は驚かされてばかりだったようです。
村の村長を務めたヨギ少年の祖父は敬虔なシーク教徒でした。少年は大変なおじいさん子であり、祖父より精神哲学を年少の頃より学んでいました。
そんな祖父を、様々な宗教の指導者やスピリチュアルリーダー達がしばしば訪ねてきました。
そしてヨギ・バジャンは8歳の時、当時偉大なヨギーとして名を馳せていた、聖者ハザラ・シン(Sant Hazara Singh)に出会います。
クンダリーニヨガのマスターであり、マハンタントリック(ホワイトタントリックヨーガ)のマスターです。
乗馬の名手であり、古代シーク教徒の武道のマスターでもある聖者ハザラ・シンは、人生、そして生命のあらゆる深淵な答えを知り尽くしていました。
ヨギ少年はすっかりこの聖者に魅せられてしまいます。
彼の教えを受けたいと両親に訴え、祖父の計らいによりクンダリーニヨガ、タントリックヨガ、そして銅鑼の瞑想法を学ぶことと相成りました。
聖者ハザラ・シンはとてつもなく厳しく、絶対なる服従を要求する師だったと云います。ヨギ少年がハザラ・シンのアシュラム(Ashram/修行の為の隠遁所)でトレーニングを受け始めた当時250名いた弟子達は、最終的に15名が残るのみだったとか。
しかしこの厳しさが素晴らしい魔法を生み出す鍵でもありました。
聖者の指令は不可能を可能へと導き、厳しい規律は弟子の内面の強さを磨いていったのです。
ある時の練習は腕を床と平行に広げて伸ばし、そのままの姿勢でただ座るというものでした。
この姿勢がもたらす威力で背骨が元来あるべき状態へと調整される、ということを理解する為のトレーニングです。背骨の状態が調整されると、シュシュムナが脳へと流れてゆきます。
「腕を少しでも下げることなく、2時間半その姿勢を維持しなければならなかったのだよ。その後ちゃんと腕が動く様になる迄、5時間もかかったんだ。
ハザジ( ヨギ・バジャンは敬意を込めて彼をそう呼んでいました )は敵ではありませんように、と願ったものだよ。」
ヨギ・バジャンは後に彼の弟子達に語りました。
ヨーガの練習のみならず、師は様々な要求や試練を弟子達に与えたそうです。
ある日、ハザジとヨギ少年が一緒に歩いていると、大きな樹がありました。師はその樹を指差し、こう言いました。
「バジャン、あの樹に登れるかい?」
良いところを見せようと張り切ったヨギ少年が樹によじ登ぼると、
「よろしい。よくできた。さあ、今度はその枝に座って、私が帰ってくるのを待ちなさい。」
そう言い放つと、師はその場を去ってしまいました。
師が姿を現したのは、なんとその3日後。
「何が起こったのか、何が起こっているのかすら分からなかった。枝の上でどうやって尿や便を足せばよいのやら、どう眠れば安全なのか、食べ物はどうすればいいのやら、分からないことだらけだった。」
ヨギジ(彼も又、弟子より敬愛を込めてこう呼ばれていました)は当時を振り返り言いました。
それでもこの年若きヨーガの生徒は樹の葉の露を飲みながら、枝の上で3日間を過したのです!
しかし現れたハザジはただ一言、
「さぁ行くぞ。急がねばならぬ。君は歩くのが遅過ぎる。」
と少年に声を掛けるのみ。褒め言葉どころか、どう過していたのかさえ、尋ねることはありませんでした。
少年は自分に言い聞かせました。
「そう、君が3日間そこに座ってどう感じるのか。それを見たかったのさ。」
ヨギ・バジャンは彼にとっての多くのスピリチュアルガイド(精神的指導者)について、弟子達によく語ったそうです。しかし、彼が師と慕うのは、聖者ハザル・シン、ただ一人でした。
師への尊敬、賛辞、そして感謝は言葉では表すことができない、とヨギ・バジャンは言います。
「私は生意気なくそ餓鬼だった。裕福な家庭に生まれ、甘やかされ放題だった私は何でも欲しいものを手に入れることができた。ハザジはそんな私を、本物の人間に育ててくれたのだよ。」
「それは人でもなく、神の様な人でも、偉大な人でもない。本物の人間、それは最善であるということだ。
災難を朝食とし、惨事を昼食にし、裏切りを夕食とする。
もしこの3つ全てを食することができ、しっかりと消化することができるのならば、その者は最善の人間となることができる。」
ヨギジが彼の師について語る時、彼の表情はこれ迄になく優しく、目は懐かしい過去を追うかのごとく遠くを見つめるのが常でした。
そしてそれは、親愛なる師との別離の痛みを訴える様な表情にも、見えるのでした。
ヨギ少年が中学の卒業試験を控えたある日のことです。少年は大きな事故で半身が一時的に麻痺する程の深刻な怪我を負い、病院に救急搬送されました。
当時より英国式の学校システムをとっていたインドでは、その試験に受からなければ留年決定。もう1年間、同じ勉強をしなければなりません。
見舞いに訪れたハザジは、医者が無理だと意義を唱えるのに耳を貸そうともせず、断固として試験を受けるべきだと説き伏せたのです。
ヨギ少年は痛みはもちろんのこと、書くことも、きちんと話をすることすらもできない程の惨状でした。師にそんなことは不可能だと訴えるものの、ハザジは聞き入れません。
聖者ハザラ・シンは、この聡明な若き少年が1年を無駄にすることに耐えられる訳が無いことを知っていたのです。
ストレッチャーに乗せられたヨギ少年は試験会場へ運ばれ、師は学校と交渉し、読み上げられる問題に横たわったままの少年が答え、その答えを他の人が書き記すという形で試験を受けさせることに成功したのでした。
師の断固とした粘り強さが、少年の限界を超えさせたのです。
卒業試験は合格。ヨギ少年は無事卒業を迎えることができました。
しかしそれより何より、ヨギ・バジャンが学んだのは、 “屈しない精神” でした。
挑み続けること、無限の可能性へ向い続ける勇気を、少年は体を通して聖者より教えられたのでした。
ある夜、ヨギ少年はハザジの部屋を訪ねました。
「おお、よく来た。君が来たらいいのにと考えていた所だよ。」
師の言葉に喜んだ少年は、「先生、私に何かできることはありませんか。」と問いかけました。
「ヨーグルトが欲しい。」夜中の1時でした。
当時のインドでは、ヨーグルトは家庭で作られるもの。夜の内に菌を仕込み、それが発酵してヨーグルトになるのは少なくとも翌朝です。
どこを探しても、真夜中にヨーグルトを手に入れることは不可能でした。
「どの位欲しいのでしょうか、先生。」
「君が持って来れるだけ持って来てくれないか。」
ヨギ・バジャンはしばし考えました。そして、ハタと気づいたのです。
” この人はこの時間にヨーグルトが出来上がることはないと知っている。”
できません。これは応えではない。何か理由をつけて断ることは、この師の要求への返答ではありません。
「はい、先生。ありがとうございます。」ヨギ少年はそう応えると部屋を出てゆきました。
翌朝、少年は持てるだけのヨーグルトを両手に抱え、アシュラムへ戻りました。それを見た師は一言も声をかけず、少年も沈黙を守りました。
少年は、これが師のテストであることを悟っていたのです。
師が要求したのは、 ”行って持てるだけのヨーグルトを持ってくる” ことだけ。”すぐに持って来い”、とは一言も言いませんでした。
「先生というものは常にこうして生徒を試す。
生徒の知性、能力、そして鋭敏さを伸ばすためにテストを課すのだ。鈍いものは何も貫けない。
真に生きるには、鋭敏さが必要なのだよ。」
聖者ハザジのアシュラムでの修行は続き、ヨギ・バジャンが16歳半年となったある日、それは唐突に起こりました。
聖者よりマスターの称号を授かったのです。
2時間に及ぶこの日の対話の最後に、ヨギ青年は師に伝えました。
「あなたは私に経験をもたらしてくれました。今、私はそれが分かる様になりました。」
「どんな経験だね。説明してごらん。」師は尋ねます。
「人生を盲目で過して来た男が、ある日突然、目が見える様になったかのごとくです。彼は世界の美しさを見るのです。」
「ふむ。して、彼はなんと言った?」
ヨギ青年は目を閉じ、そして言ったのです。
「わぁ。経験の内に、無限が見える。」
この青年がクンダリーニマスターとなったことに異を唱える者は、アシュラムの中に誰もいませんでした。
be continued……
参考文献とサイト: