
2026年5月29日
kaworu-かをる
ヨガのクラスでは、よくこんな言葉が聞かれます。
「自分の内側に意識を向けてみましょう」
「身体と心の声に、耳を澄ませてください」
ヨガではおなじみのこのフレーズ。
私もよく言葉にします。
でも少し立ち止まって考えてみると、日常の中でこれができている時間は、
思いのほか少ないのではないでしょうか。
ヨガのレッスンでは、ポーズをとりながら
「今この瞬間、自分の身体はどう感じているか」を丁寧に確認していきます。
どこかが硬い、どこかが緩んでいる、呼吸が浅くなっている
—そういった内側からの声に、静かに耳を傾ける時間です。
実は、ポーズの完成度よりもこの「観察」の質のほうが、
ヨガを深めていく上では大切だと言われます。
美しいポーズをとることより、今の自分の状態をありのままに見つめること。
目に見える変化だけでなく、目には見えない内側の変化を丁寧に受け取ること
—それがヨガの本質のひとつです。
ところが日常生活に目を向けると、この「観察する」という行為は、
驚くほど抜け落ちていることがあります。
子どもの頃を思い出してみてください。
得体の知れない木の実に心を奪われたり、
雲の形に歓喜の声を上げ、初めて出会うものをじっと見つめていたあの感覚。
大人になるにつれて知識や経験は増えていきますが、
その分だけ「見たつもり」になって素通りしていくものも増えていきます。
何を見て、何を見ないか。
何に耳を傾け、何と距離を置くか。
そんな小さな選択の積み重ねが、
自分自身の軸や感性をつくっていきます。
ものを適当に眺め、流し見する習慣は、じわじわと日常の質を変えていきます。
たとえば、テーブルの上に何かを「とりあえず置く」ことが続けば、
やがて部屋全体がそういう場所になっていく。
あるいは、誰かの話を「なんとなく聞く」ことが当たり前になれば、
相手の言葉の奥にある感情や気配に気づけなくなっていく。
目の前のものをぞんざいに見る目は、やがて人や出来事への眼差しにも影響していきます。
ものの見方は、生き方と深く繋がっているのです。
逆に、丁寧に見ることを日常に取り戻すと、少しずつ変化が生まれてきます。
一緒にいる人のしぐさや、声のトーンのわずかな変化に気づくこと。
食卓に並んだ料理の色や香りをきちんと受け取ること。
窓の外の空が、今日はいつもと違う青さをしていることに気がつくこと。
そういった小さな積み重ねが、所作を整え、言葉を丁寧にし、人との関係をあたたかくしていく
—それが、品と呼ばれるものの正体ではないかと思います。
とはいえ、いきなり日常のすべてを変えようとする必要はありません。
ヨガマットの上で行っているように、まず自分の身体と呼吸に丁寧に意識を向けることから始めてみる。
今の自分はどんな状態か。
どこかに力が入りすぎていないか。
呼吸は浅くなっていないか。
ヨガの時間に育てたその眼差しを、マットを降りた後の暮らしにも少しずつ持ち込んでいく。
「きちんと見る」という習慣は
自分の軸や美意識を作っていく。
そのまま「きちんと生きる」ことへと、繋がっていくはずです。
皆さんは物事をきちんと見ていますか?