2025年5月23日
かをる
ヨガの時間では、ポーズがうまくできなくても、
「今の自分に寄り添うこと」が何よりも大切にされます。
でも日常に戻ると、ふとした瞬間に「私ってダメかも…」と、
つい心の中でジャッジが始まることがありますよね。
何気ない失敗、誰かの一言、自分への期待外れ。
人生経験を重ねてきた50代でも、
そんな気持ちになる瞬間は突然やってきます。
でも、そんな時こそ自分を救うのは、
意外な“ひと手間”かもしれません。
「私、ダメかも」の底から抜け出せるかも。
5つのユニークな方法を伝授!
思わず「そうきたか!」と感じるような、
意外性のある視点を意識してご紹介いたします。
思いっきり演技モードで、“ダメな私”を演じてみてください。
わざとらしく「私は何をやってもダメなんです」と声に出して、
肩をすぼめて、泣き真似してみる。
まるでピエロのように
おどけてみる。
不思議と、自分で自分のことがちょっと笑えてきます。
ピエロのように自分に向かって
笑顔や楽しみを届けます。
「自分の完璧さ」や「こうあるべき」という執着を手放し、
ユーモアを持って“今ある自分”を受け入れることは、
まさにイーシュヴァラ・プラニダーナの実践。
失敗も未完成も、運命に委ねて受け入れる態度
と通じています。
ユーモアは、自己否定の一番の中和剤。
心の余白をつくる効果的な方法です。
心がごちゃついてるときは、身の回りも滞っています。
何も考えずに、冷蔵庫の中を整理してみましょう。
出てきた期限切れの調味料や、
存在を忘れていた漬物を捨てることで、
頭の中までスッキリ。
実は、私たちの心も
「もう役目を終えた思い込み」
を抱えすぎているのかも。
冷蔵庫の整理は、単なる掃除を超えて、
内側の浄化にもつながる行動。
ヨガ哲学でいう「シャウチャ」は、
身体だけでなく思考や感情の整理も含む“清らかさ”を意味します。
外側の整理が、内側の静けさをもたらす
これは実際にアーサナにも通じる感覚です.
部屋の片隅にある観葉植物やベランダの花。
何も言わず、でも確実に生きているその存在に向かって、
「私、今ちょっとダメかも…」
と話しかけてみてください。
返事はなくても、ちゃんと“聞いて”くれます。
言葉にした瞬間、
気持ちがスーッと整ってくるのを感じるはずです。
植物との対話は、言葉による暴力や評価から離れ、
ただ“存在を尊ぶ”態度。
これは「アヒムサ」(非暴力)の一つの形です。
「雲を眺めて“名前をつけて遊んでみる」
子どものように「これはワニ雲」「これは寝坊したOL雲」など、
自由に命名。
空はいつでも、遊び場になってくれます。
「誰の役にも立たないけど、ちょっと楽しい」
「ダメかも…」という気持ちは、心がギュッと縮こまっている状態。
だからこそ、
役に立たないこと”で、無駄にゆるむ時間が、
思わぬ回復のきっかけになります。
「何も成果がなくても、今この瞬間を味わう」態度
はサントーシャが育まれます。
役に立つ/立たないという価値判断から自分を解放することで、
今の自分をありのまま大切に思えるようになります。
これまでの人生の中での小さな失敗を、
3つ書き出してみましょう。
そして、その時の自分にひと言ツッコミを入れるとしたら?
「おい、なぜそこで寝坊する!」
「それ、見間違えるってどんな眼?」
真面目に落ち込んでいた過去の自分を、
ちょっと笑える“キャラ”として見直すと、
今の自分にも優しくなれます。
過去の自分を観察し、
否定ではなく“愛あるまなざし”で振り返ることは、
まさに「スヴァディヤーヤ」(自己を学ぶ)の実践です。
ヨガの教えは「今この瞬間に意識を向けること」から始まります。
「ダメかも…」と思う日は、
未来を不安に感じたり、過去の自分を責めたりしがちですが、
ほんの少し目線を変えることで、
“今の自分”をやさしく認めることができます。
誰の役にも立たないこと。
ちょっと笑えること。
失敗を愛おしむこと。
それらはすべて、自分をゆるし、
心を整える“ヨガの実践”の一つなのかもしれません。
「ダメかも…」の気持ちは、あなたが真面目に生きている証拠。
そんな自分を、まずは一番近くにいる“あなた自身”が、
そっと励ましてあげてくださいね。