
2018年3月1日
romi
恥ずかしながら、私はつい最近までこの作品を知りませんでした。
長男の学校でこのお話の演目があり、物語のさわりを聞いていたら、
私はまるで時間泥棒のようだと思い、自分への戒めのために読みました。
時間泥棒は床屋のフージーにこのようなことを伝えます。
するとフージーは、ぶすっとして客を扱い、余計なことは一切せず、
一言も口をきかずに働くようになりました。
仕事を楽しいと思うこともなくなり、怒りっぽい、落ち着きのない人になってしまいました。
この部分を読んだ時、私が長男にしている声がけそのもののように感じ、恐ろしくなりました。
私には時間の無駄遣いに見える長男の行動や過ごし方も、彼にとっては人生そのもの。
私は彼からゆとりや豊かさを奪ってしまっていたのかも知れません。
自主性を大切にしてきたはずなのに、いつの間にか強制してしまって、
自分の時間を奪われないように一番手っ取り早い方法で、彼から時間を奪っていたのだと気付きました。
そして、人生においてとても大切だと感じることも物語の中にありました。
道路掃除のベッポはこんなことを言っています。
物事に近道なんてないんですよね。
一歩一歩進むしかなくて、急に何かができるようになることなんてなくて、
日々積み重ねていくことでしか成長はできないし、
その過程を楽しんでいる人しか目指す場所に行き着けないようにも思います。
そして、流れ行く時間の中で、今という瞬間が過去や未来を作り上げるのだから、
ベッポのように、次の一歩次の一呼吸に集中することが有意義な人生を過ごすための第一歩になるのだと改めて感じました。
仕事に追われ、時間に追われてしまっても、
立ち止まり深呼吸をして自分自身に「今、楽しい?」と聞ける余裕だけは持ち続けたいと思います。